2009年03月06日
「必要」な人になるために。(3)
前の2つを自分で読み返してみましたが、文章がクドイですね。(>_<)
しかも暑苦しい。ゴメンナサイ。
でも、ホンマに大事やと思ってることなんです。(*^^*)
文章がヘタなんは、しゃあない!(結局居直りかいっ!)
当然賛否はあるでしょうが、一緒に働いている仲間とは絶対に共有しておきたいことです。
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さて、「必要」な人になるために、私自身が考えるコツがいくつかある。
どれもセコイものかもしれないが、「凡人」が人様に用いられ勝ち続けていくうえでは
絶対に必要だし有効だと(少なくとも私は)思っていることを書かせていただきます。
「相手中心」ということについて、です。
たびたび書いているのですが、本当に本当に大事なこと。
どんな業態であれ、商売の「本質(=外せないこと)」だと思います。
大人と「子供(=自己中心)」の、根本的な違いだと思う。
さてさて。
「自分がしてほしいと思うことを、人(対象者)にしてあげなさい」
誰のコトバだろう?聖書かな?
とにかく、よく聞くコトバである。物心ついたときから。
しかし今、私は思います。
これ、全くのウソですよ。絶対にっ!!
ナニを根拠に、「自分がしてほしいこと」を、自分と同じように「人(対象者)がしてほしいと思っている」なんて言えるんや?!
単に「自分がしてあげたいこと」を「人(対象者)に押し付けている」だけかも知れないのでは?
これこそ、まさに「自己中心性」であり「自己満足」じゃないの?
「(自分の)思い・善意」を「押し売り」して、「自己陶酔」しているだけでは?
多くの場合は、人間関係がおかしくなる。 少なくとも違和感発生。(涙)
そのままこの考え方で頑張れば頑張るほど、その人との心の距離は遠くなっていくだろう。
望んでいる結果とは全く逆。 あぁ、悲惨。。。。(ToT)
たまたま結果がうまく行ったとしても、それはあくまでたまたま「当たった」だけ。
もしくは、お相手が拒絶するほどには「外れていなかった」だけである。
大事なのは絶対、コレ。
「人(対象者)がしてほしい」と思っていることを、「その人にしてあげる」こと。
だから、喜ばれるのだ。
当たり前である。
その人が「真に」望んでいることをきちんと把握し、それを満たして差しあげる。
つまり「(自分本位の思い入れで)当てにいく」のではなく、「(お相手の願望を)外さない」という感じが大切。
それでこそ、「相手のために」となるのではないだろうか。
その人が望んでいることをして差しあげるから、「その行為」によってその人に「思い」が伝わり、その「心遣い」に感謝され、お付き合いを続けてくださるのだ。
え?じゃあ「相手が『真に』望んでいること」は、どないしたら分かるねん?
そんなのなんにも難しいことではない。
分からなければ、 横着せず(自分本位の予測で済ませず)に、「聞く」だけのこと。
ご本人に直接「聞く」のがムリもしくはマズければ、そのご本人の「好き嫌い」、「真に求めていること」を「確実に」ご存知の方にそれとなくでもきっちりと「確認する」ことである。
くれぐれも、予測・想像はぜったい危険。
「確認する」ことを怠って、「(自分なりに)予測・想像する」なんてぜったいアカン!!
(特に注意すべきなのは、中途半端に遠慮しないといけない距離感がお相手との間にあるとき。
親友レベルなら気兼ねせずズバリ聞けるだろうが、そこまでではない場合、多少の気遣い・遠慮が必要な場合に、「確認」を飛ばして「予測・想像」に走ってしまうことが多い。その時こそ「要確認」!!
その人を「喜ばせよう」と(意欲的になって)肩に力が入った時ほど客観性を失い、無意識のうちに「自分の欲求」を満たすことを最優先してしまい、墓穴を掘りがちなのだ。)
我々は「自分を基準に」置いてしか(=自己中心的にしか)、予測・想像するということなんてできないもの。
例えばプレゼント。
サプライズ~♪なんて言って、本人の好みをろくに考えず、「さぞかし喜んでくれるだろう」なんて勝手に期待して、相手が自分にめちゃ感謝してくれている状態を勝手にイメージして。。。
もしそのお相手の好みとズレてたら。。。
そりゃ、単に迷惑なだけやろっ!
しかもそれを顔にも出せず、喜んだ「フリ」でもしないといけなかったら、
お相手もたいがいしんどいやろっ!!
もしお相手が正直な(不器用な)人で、不満な感じが表情にチラッと出たりなんか
したら、「せっかくしてあげたのに~」とか「もっと喜んでくれると思ったのに~」なんて逆に文句を言ってしまうくらいかも。
アンタが勝手に期待しただけやろ!相手の好みも都合も考えんと!!
それでせっかくの人間関係がギクシャクなんてしたら。。。
こりゃもうマンガの世界です。(>_<)
でも日常、本当にたくさん起こっているように思う。
たとえば一人で昼ごはんを食べている人がいるとして。。。
A子さん:「ねぇねぇB子ちゃん、一人で食べるなんて淋しいじゃない!
こっちで一緒に食べようよ~。♪」
(みんなでワイワイやるのが好きで、みんなもそれが好きなはずだし、一人でいるなんて淋しいはずだ、と真顔で思い込んでいるA子さん。)
B子さん(の心の中):「え、えぇ。。。でも私は一人で色々考えながら食べるのが好きなんだけどなぁ。
いつもじゃないにしても、今日はそういう気分なんだよなぁ。でも行かないとマズイかなぁ。」
(一人でゆったりと考えごとをするのが好きで、あんまり長い時間人と一緒にいるとたまに疲れるB子さん)
結局、B子さんは断りきれずにみんなの輪に合流。しかし、あんまり会話に入れず。。。
A子さん:「B子ちゃん、自分なにぃ?(大阪では「相手」のことを「自分」と言う)なんでみんなの楽しい会話に入ってこおへんのぉ?せっかく誘ってあげたのに。」(出た~っ!!「せっかく誘ってあげた」なんて「自己中心」で恩着せがましい、しかも「上から目線」!)
B子さん(の心の中):「いや、だからぁ。。。今日は自分一人で昼間に考えごとをしたかったのにぃ。。」
(でもその場の空気も読んでしまい、「イヤなものはイヤ」と正直に言えない)
A子さん:「ふんっ!この子、オモンないわ!」(大阪で実によくある会話^^;最も軽蔑した時に吐くコトバ)
B子さん:「…」
A子さんはB子さんに、みんなと一緒に食べたいかどうかをまず「確認する」ことです。
(もちろん「ダブルメッセージ」(例:イヤよイヤよもスキのうち)というものはあるので、その人の性格も含め、「本当に望んでいること」を確実にキャッチすることが必要)
とにかく、大事なのは「相手中心」。
「喜んでほしい」という思いは確かに尊いものですが、我々は動物的本能として、とことん「自己中心」的な生き物であることの自覚を忘れずに。
お相手の欲求を満たすことを忘れて?もしくは放っておいて、「自分の欲求を満たすこと」をつい優先してしまいがちので、くれぐれも気をつけよう。
「相手のために」なんて言いながら、実は「あなたを喜ばせようと思ってこーんなに動いている私」を認めて~♪なんてメデタイことにならないように、注意注意。。。
(とエラそうに言うてる私も、日常はどうだか。。。^^;)
人は、「自分が『真に』求めているモノ(感情・こと)を手に入れるために、『必要』な人(モノ・企業)」をそれこそ必要とし、期待し、信頼する。
特にビジネス社会では、ホントにそう思います。
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 05:53
前の2つを自分で読み返してみましたが、文章がクドイですね。(>_ しかも暑苦しい。ゴメンナサイ。 でも、ホンマに大事やと...2009年02月22日
「必要」な人になるために。(1)
我々は、自分(自社および自社が提供する製品・サービス)の価値を、
自分自身で決めることはできない。
ビジネス社会の、大原則である。
「(お金を支払ってでも)必要かどうか」は、支払う側、すなわちお客さま(この場合は「見込み客」の段階)が決める(=選ぶ)のである。
現実として、自分の「価値」は自己評価ではなく、「他者評価」なのだ。
自分以外の存在が「我々の価値」を決めるのだ。
自分(自社)自身がいくら「これは素晴らしい製品・サービスだ」と熱く主張しても、
それに対して「お金を支払うほどの価値があるか否か」「価値があるとして、
その金額の上限はいくらか」は、すべて購入する側が判断(選択)することである。
「私自身には価値がある!」との主張も同様である。
「価値があるか否か」「あるとして、どんな価値がどれくらいあるのか」は、
選ぶ側、判断する側が、それこそ「主観(『好み』も含めて)」や「その時々の事情・都合」によって決める(選ぶ・判断する)ことなのだ。
身も蓋もない話になってしまうようだが、その「当たり前の大原則」が分からないと、
特に職業人・組織人としては苦労をしてしまうようだ。
それなりに意欲があり、自己評価がいくら高くても、このキモが心底理解できていないと、
一度しかない貴重な職業人生の中で、「無用の苦労」を「自ら(わざわざ)選んでしまう」ことになる。
逆に、この大原則(=コツ)が分かっている人は、それだけで大きく得をする。
分かっていない人には追いつかれないほど、すでに圧倒的に優位なのだ。(^^)v
「それじゃ、どうしたら『必要』な人になれるのか?」
について私の考えるところは、24日(火)に書かせていただきます。
大変失礼いたしました。(^^;)
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 06:50
我々は、自分(自社および自社が提供する製品・サービス)の価値を、 自分自身で決めることはできない。 ビジネス社会の、大原...2009年02月19日
「必要性」とは?
今の時代、ビジネスのキーワードは「必要性」だと思う。
「必要性」のない(と判断した)ものに対しては、企業も人も、お金を支払わないのだ。
家庭・個人はまだしも、企業体の場合はより明白である。
では「必要性」とは何か?
「必要性がある」という判断は、どういう状態を言うのか?
「あったら便利」ということか?
今の時代、そんな程度で「必要である」とは言えない。
そんな理由では、組織の判断として、出費の許可を出すことはできない。
「あったら便利なのになぁ」というレベルでは、「なくても何とかなるかぁ」で片付けられる
程度でもあるのだ。
改めて今の時代、企業体にとって「必要性」とはどういうことを言うか?
「ないと困る」ということである。
「お金を払ってでも、そのモノ(サービス)は手に入れないと困る」というレベルで、
初めて「必要」だと言えるのである。
1.「本当に必要なモノ(サービス)なのか?」、
もし必要だとしても「この価格は適正なのか?」と現状を冷静に見直した場合に・・・。
「ないと困る」というモノであり、サービスであること。
「金額は高いようにも思うが、そのモノ(サービス)を手に入れるためならこの金額は
妥当だ。いや、むしろ安いかもしれない」というものであること。
2.さらに「今、どうしても必要なのか?後回しではダメなのか?」を見極めたとき・・・。
「今、なきゃ困る」というモノ(サービス)であること。
「後回しじゃ困る」と判断されるモノ(サービス)であること。
3.さらにさらに「他の候補(選択肢)」と比較されたとき・・・。
「他のモノ(サービス)じゃなくて、あなたのトコのモノ(サービス)じゃないと困る」ということ。
「他の会社じゃなくて、あなたの会社じゃないと困る」と言われること。
「他の人じゃなくて、アナタじゃないと困る!」と言っていただけるほどであること。
そのレベルで「必要」だから、お金を支払ってでも手に入れるのだ。
「必要」というコトバの意味が、より厳格になっている。
ヌルい時代だったから(ただ何となく)選ばれていたモノ(サービスも企業も人も)は
すでに淘汰されているし、さらに加速していく。
理不尽ではあるが「現実」として、これから「結果の平等」という概念はどんどんなくなっていく。
それに比べて「機会の平等」は、まだ辛うじて残っている。
資本主義がともすれば行き過ぎて、グロテスクに牙を剥き出しにしているような時代だが、
我々はその制度の利益もたくさん享受している。
この日本でこれからも生きていく覚悟をしているならば。。。
我々は、お客さま・市場のなかでも「必要」というコトバの意味が厳格になればなるほど、
選ばれる存在になろう。
そのプロセスを楽しみながら、
今の製品・サービスの質を磨き、新たに製品・サービスを開発していこう。
お客さま・市場の「必要性」を満たす、いや超えるレベルで。
(文責:常務 田畑良一)
投稿者 seiun : 21:58
今の時代、ビジネスのキーワードは「必要性」だと思う。 「必要性」のない(と判断した)ものに対しては、企業も人も、お金を支...